テレビでは流されない被災地の光景
良く知る横浜のお客さんの
宮城に住むライヴ友達がmixi日記にアップした
被災地 宮城県女川(おながわ)町の現実の光景です。
僕らに出来る事は限られてますが、
「知る事」も大切な一つと思い、転載させて頂きます。
これを読んで暗くなって悲観的になっても何も生み出しません。
「いま自分が出来る事」を考えるキッカケになればと思います。
※非常に辛い内容なので
連日の暗い話で気が滅入ってしまっている方は
今は無理に読まないでくださいね。
※一部分だけ「外国人」に書き換えさせてもらいました。
ーー以下転載ーー
今の女川の状況
2011年03月17日20:56
18時になれば真っ暗です。なにもすることができなくなります。手探り足探りでトイレにいきます。ロウソクや懐中電灯がある場所はましなんです。
ラジオがある避難所はまだましです。ラジオすらなくてまだ状況が把握できていない人もいます。
溺死体がまだたくさんあります。ガレキとか屋根とか車をおこすたびに遺体が発見されています。
賃金が安いため大量に雇っている外国人が遺体から財布を奪っています。なにも持たず避難しても間に合わなかった人からは結婚指輪やネックレスなどの貴金属を奪っています。被害のない家には盗みに入り、車からはガソリンを抜いています。夜でも真っ暗のなか町民でパトロールをしています。
知り合いと出会えたらその人が生きてただけで喜ぶべきという考えでいます。暗黙の了解で「家族は?」は禁句です。
飲料水とトイレを流すための水を何時間も待って水をくんで何時間もかけておもい水を運んでます。配水車だけではみんなにまわらなくて蛇口からポタポタこぼれるようなお寺の涌き水を汲みにいくひともいます。
地獄絵図みたいな光景をみてショックで記憶なくしたりボケてしまったお年寄りのかたもいます。
薬もありません。身体のわるい方だけではなく精神病の方も薬がきれて大変な状態になっています。大声をだしてあばれる人がいて眠れない人やストレスをためている避難所もあります。
まだ幼い小学生や幼稚園児は親が向かえにこないことを不思議がっています。まだ小さいからわからないので先生たちも話せないのです。
道が道じゃなくなっています。車で通れる場所は一部です。たくさんいろんなものが積み重なっているのでその上を渡って歩かなくては行けない場所ばかりなので、気付くと行きたい方向と全く違う場所に向かってしまいたどり着くのには半端じゃない時間がかかります。
並んででも買いたいですよね。でも全部流されたのでお店もないのです。避難所ではなく自宅待機している方は配給がこないので大変辛い想いをしている現状をしってください。
そんな中でも女川町の人達は協力して支えあってます。
いつガソリンがとまるかわからないのに遠くまで車を走らせて買い物できると家族だけではなく同じ地区の人達のぶんの下着や靴下を配っています。
歩いてる人がいれば見知らぬ人でも声をかけて行き先まで連れていってあげています。
わたしが仙台にきたのは、持病をもつ母、祖父、祖母から薬を頼まれたからです。事情説明しても薬だしてくれるとこがなかなかありません。色んな病院をまわっています。少しでも早く薬を揃えて女川に戻らなくてはなりません。
割れていても道路がある。それだけでなんて自分は贅沢しているのかと罪悪感でいっぱいで涙がでてきます。自分の住む仙台のアパートはライフラインはほとんど戻っていますが、申し訳なくて使う気になりません。
女川町民だけではありません。これだけ大変な想いをしていてもくよくよしている暇もなく動いている人達がいることをしってください。ほんとにおねがいします。
薬を届けることができるまでこれより少しはよくなっててほしいです。
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