さよなら5年半の思い出
これは6月28日から30日まで
locofrank主催のライヴへ大阪へ行った時の記録です。
先に1つ前の日記「6/29 大阪 FANDANGO」
を読む事をオススメします。
<6月28日>
(23:30)
横浜からチーム・ストンピンバード(メンバー+スタッフ2名)
白い妖精(←機材車の名前)に乗って、
とりあえず仮眠できるサービスエリア「多賀」まで出発。
白い妖精の水温系が上がりがちだが、ごまかしながら進む。
※水温系=エンジンを冷やす冷却水の温度を示す計器。
<6月29日>
(04:30)
多賀に到着。
やはり水温計がヤケに上がるのが気になったが
きっと朝になればマシになってるだろう。
大阪から帰ったらちゃんと見てもらわなきゃな。
(11:00頃)
仮眠から目覚め、時間に余裕があるので
皆でメシを食って多賀を出発。
数キロ走った所でまた水温計が上がる。
危険を感じてサービスエリアへ。
すると助手席からケムリ(水蒸気)が!!
冷却水が足りなかったか…。
車の説明書によると「とりあえずは水で代用可能」
とあったので、エンジンが冷めるまで待って
同じ事態の経験者であるホリが
冷却水を入れる場所のフタを慎重に開ける
慎重に開けるが…
激熱冷却水逆噴射!!!!
まだ全然冷えて無かったので冷却水が吹き出したのである。
「んぎゃ!!」という顔をするホリ。
悶えるホリと熱湯噴水を何も出来ずに
立ち尽くしながらしばらく見つめる4人。
「いや〜、いきなり過ぎて立ち尽くす事しか出来なかったよ」(後日談)
軽い火傷を喰らったホリ。
しかし冷却水をたっぷり足したので
とりあえずもう少し冷やして出発してみる。
(12:00頃)
出発してみたものの、すぐに水温計が上がる。
このままでは危険なので路肩へ白い妖精を止める。
実は白い妖精は、「ディーゼル車規制」によって
9月で車検が切れたらもう乗れなくなる。
まだまだ走るのにチキショー。と思っていたが、
コイツもだいぶ疲れて来ている様だ。
日本中、一緒に駆け巡ったもんな…。
でもまだコイツなら行けるハズ!!
とりあえずもう少し冷やしてみよう…。
いや、無理だ…。時間もそろそろヤバい。
JAF(※車用の救急車みたいなモノ)を呼ぶしかねえ。
と、最終手段であるJAFを呼ぶ。
来るまでの1時間、何もできずに路肩でたそがれる5人。
後で聞いたが、名古屋から大阪へ向かう
locofrank号がその横を通り過ぎたらしい。
「なんて声をかけたら良いか分からない位、
エモい光景だった」とのこと。
そしてJAF到着。
JAFのトラックから降りてきたお兄さん。
チーム・ストンピンの5人の頭に「!」マークが出る。
とにかくお兄さんに事情を説明して
トラックに白い妖精ごと全員乗せてもらい、
近くの高速出口、八日市(滋賀県)へ。
その間、車内では
「あのお兄さん、マー君(locofrank Vo/Ba)じゃねえ?」
「似てるって言うか同じ顔だよな?」
「生き別れの兄弟か?」
という話で持ち切りだった。
後は、車に乗った状態でトラックに乗っているので
「高け〜、マジで高け〜」とハシャいでいた。
(マジメに搬送されろよ!!)
(14:00)
マー君、いや、JAFのお兄さんに見てもらったが
どうにもならない状態だったので近くの車屋へ。
「とりあえず神奈川まで帰れる状態にしてくれればイイッス」
と伝え、時間が無いのでレンタカーを手配してもらう。
しかしマー君、いや、JAFのお兄さんはイイ人だった。
しかしJAFの会員って年間4000円なのね。
入っておくべきだった。
(15:30)
ガツガツと荷物を載せ換えて出発。
ここからなら2時間以内に着くから、
今日の出番は1番目だけど何とかなる!!
と、乗り馴れない新型ハイエースで大阪へ向かう。
そしてふと電光掲示板を見ると…。
「これより先、事故により渋滞12km」
ガビーン。
とか言ってる場合じゃないからっ。
渋滞直前の京都で高速を降りて
細かい渋滞にイジメられながら一般道を爆走。
時間は着々と迫ってくる。
ヤバい、ヤバ過ぎる。
(18:00)
なんとか到着。猛スピードで荷物を下ろし、
ステージにアンプやらドラムやらをセットし、
「ジャーン」と一発鳴らして終了。
史上最速リハーサル。(←だからどうした!?)
そうしてなんとかギリッッギリでライヴに間に合ったのでした。
本当にライヴハウスや共演のバンドにはご迷惑をおかけしました。
頭が下がりません。
いや、上がりません。(失礼にも程が有る)
そして客入れ中の本番直前に車屋さんから電話。
「いや〜、エンジンがおかしいからバラさないとダメですね〜
でも高くついちゃうから後2ヶ月しか乗れないなら直してもね〜」
あ〜あ。
マジかよ…。
これであいつ(白い妖精)ともサヨナラなのか…?
いきなり過ぎる。余命あと2ヶ月もあったのに…。
そんな気持ちを抱えたままライヴスタート。
ライヴが始まればそんな悲劇も
一時的に忘れさせてくれる様なアツい夜だった。
そんな夜が明け…
<6月30日>
(12:00)
カプセルホテルを出てまずレンタカーの手配。
ラッキーな事に今借りてるレンタカーを継続で借りて
そのまま地元で返せる事になった。
これでとりあえず膨大な機材とチーム・ストンピンは
神奈川に帰れる。
そして…
白い妖精をどうするか…だ…。
滋賀でサヨナラ…?
あんなに色んな時間を共にして来たのに、
いきなりここでサヨナラ…?
そんなの切なすぎる…。
でも無駄だと分かって輸送費をかけて
地元に持って帰る余裕は俺達には無い…。
そこで白い妖精がいつも世話になってる
地元の車屋さんに相談してみると…。
「オレが引き取ってやるよ」
ええ〜〜〜!?
そこの車屋さんが運送会社と仲が良いから
格安で運べるらしい。しかも貰ってくれるなんて…。
頭が下がりません。
いや、上がりません。(だから失礼だって)
こうして白い妖精は見知らぬ土地でスクラップにされず、
なんとか地元に帰れる事になりました。
あ〜良かった。
けど、やっぱ寂しい…。
5年半連れ添ったダセえ白いハイエース。
北海道から沖縄まで一緒に旅をした。
時にはあいつの中で寝泊まりもした。
だからオイルもキッチリ交換してあげたし
たまには洗車もしてやった。
当たり前だけどね。機材車だから。
ただの機材車なんだけどね…。
スッッッッッゲエ寂しい!!!!!!!!!
ちくしょう!!!!
そんなストンピン史上最大の事件でした。
新しい相棒探さなきゃな…。
また白いのかな…?
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